港区生まれ 港区育ち
178cmの身長コンプレックス。シングルマザーの環境で育つ。環境教育や世代間交流、国際交流、女性支援等に力を入れ活動。港区議会で初めて現役議員として2児を出産。港区での女性初めて記録を更新しながら、赤ちゃんからお年寄りまで、安心して住み続けられる環境づくりを港区でリードし、先進的な取組みを積極的に取入れている。雙葉学園、ノーザンバージニアコミュニティカレッジ卒業後、食品輸入会社、広告代理店、ファッション業界へ。保健福祉常任委員会委員長、港区総支部政調会長、港区自民党議員団副幹事長を務める。

「カタ親」と呼ばれた時代に育って・・・

私はシングルマザーの家で育ちました。気付けば父がいない環境が当たり前になっていた幼少期、「離婚」という言葉も知らない頃、周りの人からのちょっとした質問や気遣いの言葉で「何かが違う?」と自覚していったのを覚えています。私たち子どもの生活を支えることで必死だった母、家に帰ることができる時間はいつも遅く、いつもとても寂しい思いをしていました。大変な母のことも理解できず、甘えたい気持ちをうまく消化できずによく困らせたものです。 そんな中、恵まれていたなと思うこと。それは、祖母の存在と、肉親ではないけれど自分の子どものように可愛がってくれ、時にはしかってくれる大人たちの存在でした。複雑な思春期時代も、この周りで見守ってくれた方々のお陰でなんとか乗り越えることができたのです。 繋がりの大切さ、そして働くということの重みを感じた経験を今の仕事にぶつけています。 辛く厳しいことが多い人生のUpDown、その中でガッツを持って小さな成果を手にした時の喜びのため、一生懸命頑張っていける環境を整えていきます!

なぜ港区議会議員に?

「生まれ育った港区が大好き」 シンプルに答えるとこうなります。 小さいときに両親が離婚し鍵っ子だった私にとって、おじいちゃん・おばあちゃん、ご近所のお付き合いなしには今の自分はなかっと思うくらいお世話になりました。また、海外で暮らした短い期間では、「世界からみた日本の立ち位置」を認識すると同時に改めて「自分の国」を強く意識するようになりました。 もともと世代間交流や環境教育などにも興味があり、なおかつ地域とも密着できる仕事として「区議会議員」という仕事が選択肢の一つにあがりました。当初、周囲には大反対をされていましたが、今は大きな理解者として応援してもらっています。 「好き」というシンプルな気持ちを大切に、沢山の困難を乗り越えながらこのお仕事に携われることは充実感でいっぱいです。

キャリアチェンジと今のわたし

アルバイト、事務・営業、会社経営、ファッションモデル、区議会議員など、年齢やその時一生懸命に頑張りたい事柄に応じて自分のキャリアを選んでいます。そのキャリアチェンジの中で今まで一番聞かれたこと、それは
・・・「どうして政治に興味あるの?」 ・・・

政治とは「日々の生活」なのだと思っています。人間関係や、会社での活動、時には家族の中でも小さな政治は発生しています。表立ってはいないけれど、無意識のうちに毎日直面しているものなのです。基本的にはみんなが政治家なのです。

どんな仕事をするにしろ、世界中どこにいるにしろ、自分が生まれ育った場所に関しての出来事や評判は常に話題に出ます。その中で「自分の地域を皆に好きになってもらいたい」そんなシンプルな気持ちが区議会議員へのスタートでした。難しい言葉を並べるだけでなく、素朴な「人の原点」を常に大切に追求していきたいといつも思っています。

今の私は、環境教育、世代間交流、女性のキャリアUP、国際教育・振興推進に向けて力を注いでいて、少しずつではありますがやっと成果として表に出てくるようになってきました。

目標を立てて一度しかない人生の中で多くを占める「仕事」という時間を有意義に費やし、どんなジャンルにいても、多くの方々が地域や政治に興味を持ってやりがいのある事柄に取り組んでいけるような開けた社会づくりをしていきたいです。

母として……議員として……

港区ができてから現職で2人を出産したのは私が初めてになります。この長い歴史の中でそもそも議員が出産ということはあまりウェルカムでなかったのは言うまでもなく、港区で与党の女性議員としての出産は私が最初の一人です。 そもそも港区自民党で女性議員は、私が当選するまで28年間いなかった中で、周囲の様々な方に気を遣わせてしまったり、困惑させてしまったり、長い議論になることもありました。 出産した一週間後からの仕事復帰は自慢になるどころか、「議員としての責任を果たせるのか」「母親としての自覚はあるのか」と何度も疑問を投げかけられながら、私の中でも自問自答する苦しい日々があったのを覚えています。
困難や課題を解決しながらチャレンジを繰り返すことで、今では周りの多くの方々のご理解とご協力を頂き、暖かい声援をおくっていただいています。皆さんのおかげで今がある。感謝をしたらきりがありません。これからもご期待に応えることができるように、『創意工夫』で挑んでいきたいと思っています。

これからの港区……

飛行機で世界中どこへでも行けて、インターネットでどんな情報でも入手できる今の時代。 言葉や文化の違いはあれど、同じ民族同士でも価値観の違いに戸惑う昨今においては、国籍の違いなんて大した問題ではないのかもしれません。 最近では、生活拠点を国の壁に捕らわれず、ビジネスや子育てがしやすい、より住みやすい環境などと、いかにニーズに合った場所であるかで決める傾向があるようです。
日本独特の文化を保ちつつ新しいモノを取り入れていくことは、時代が変わるたびに課題にあがることです。 これから日本の飛躍が求められていく中で、労働環境や、生活においての価値観の変化がみられるようになりました。何が良くて、何を良かれとしないのか。それさえも不明確なこのご時世。その中での判断基準はとても難しいものになっています。 東京の中でも多くの代表的な「まち」がある港区は、国際競争力を保ち、そして伸ばしていくという課題解決をするにおいて、とても重要な役割を果たす基礎自治体であることには間違いありません。国際推進事業、教育などはじめ、様々な新しい取り組みを行う港区において、「変化があって初めて前進する」そんな気持ちを強く持ち、世界で最も繊細で優秀な私たちの国で育まれた文化を更に評価してもらえるように努めていきます。

いつも忘れないでいたいこと

日本人女性としての本質を忘れることなく、どんな経験でも真面目にやれば蓄積になることを信じ、世間体や既成概念にとらわれずに、知的好奇心を持ち続けて目標を達成していける人間になりたいです。

178cm 身長コンプレックス

生まれた時から大きかった私。いつも誰よりも背が高く、「小さくて可愛いわね」という言葉に憧れを持ち続けていました。身長だけでなく大きな足のサイズは人には言えず、いつも小さなサイズを履いて足は傷だらけでした。「なんでこんなになってしまったんだろう」と、いつも嘆いていたものです。今ではもう随分なれましたが、やはり写真を撮る時や大きな会場ではいまだに、端の後ろの方に行ってしまいます。人前に出るのも恥ずかしい。この仕事をしながら自分のコンプレックスに向き合って、コンプレックスを自身につなげていければ。。。猫背をなおそう。ハードルはまだ高いですが、自分の中の大きなひとつのテーマです。